冬の所感10

 

おお ラクリモーサ  Ⅲ

だが冬!おお大地の
このひそかな内省よ、死者たちのめぐりに
きよらかな樹液を回収し、
果敢な力を蓄えるとき。
きたるべき春の果敢さ。
凍結の底に
思考がめぐらされるとき。
偉大な夏に着古された
緑がふたたび、あらたな
着想となり、予感の鏡となるとき。
草花の色が
私たちのまなざしの滞留を忘れるとき。

一「リルケ詩集」国安国世 訳 岩波文庫

 

最近は、韓国の詩の、芯が通っている力強さと、気候がら日本より冷ややかな感触にすごく惹かれている。
エッセイでは、ハン・ジョンウォンの「詩と散策」に収められている「11月のフーガ」がけっこう好き。作者と作者が飼っている猫は11月生まれでわたしも11月生まれだから、彼女の11月に対する思いを読んだときはわたしのことかと思ったほどすごく共感できた。わたしは温暖な地域に住んでいるから、凍った川も、大雪の積もった森もあまり目に触れる機会がなくて、けっこう羨ましい。あとは、パウル・ツェランを読もうと思ったけど、生死を主題に据える詩について、まだわたしには時が訪れていない気がした。いつでもその時が来てもいいように蓄えをしておきたい。

詩人や歌人が自分の中に生まれた芽をどうにかして外界につむぎ出そうとしている一方でSNS上ではものすごく雑に人間が語られているのに遭遇しやすい、その温度差に悲しみを覚える。言葉を削ぎ落として世界を見たい。説明を重ねなければならない相手はほんとうはどこにもいない。

やらなきゃいけないことが上手くいかなくてイライラして、紙をめちゃくちゃに破って、疲れて2時間寝たあとにニュースが耳に入って、ストレスと、世界も上手く回ってないことに怒って、悲しくなって泣いた。夜、この日いちばん楽しかった朝のカフェタイムを思い出して、もう1回泣いた。

幸福はそれに気がついたとき過去または現在のものとして事物に依拠し現れるのではなく、まさにその瞬間から始まる行為として訪れるのではないか?

─冬は備えの時といふことはあながち間違いでは無いかもしれぬ。現に吾は今冬を以て過去の幸福の柵を壊し先の幸福に生きる術を探さうとしてゐる。

音楽に垣根がないというのは厳密には嘘だと思っていて、楽器や様式に関する歴史の暗部をふまえた上で現代に生きる我々には垣根を越えて楽しまれてほしい。

蜃気楼

12月、街中の至るところで光が輝いている。人為的に作られた地獄が人々を虐殺しているのと同じ時間に、人工的に作られた美が人々に幸せの虚構を演出している。
人の作ったきらめきを信用できなくなっている。すべてきれいなベールで覆われただけの空虚なのではないか。毎年季節になれば咲く花や色づく葉ばかりが、時間は進んでいるのだと安心させてくれる。

誰もテレビをつけなかった大晦日、目の前の課題のためにいつも通りの日を過ごした

睡眠に消えた元旦、世界のくずれはじめる音が通り過ぎた

将来を考える時、職業とか各ライフイベントとかいろいろあるけど、結局どうやって死ぬかということを考えてる気がする。納得する死に方をするためにはどうやって生きるか、っていう方向性で

前期試験の終わりとともに、再び世界がもとの大きさを取り戻した

 

新たな自己喪失への対応

 『私立女子校体験記』を通して中高生活にさわやかな別れを告げたつもりだったのだが、新年を迎えたのち、新たな問題に悩まされた。それは母校の貴族的文化と、中学受験や家庭環境によって育まれたエリート主義との衝突である。記憶が鮮明なうちに色々考察してみる。発端は以下のツイートである。厳密には発端ではないが、文字を打っていないときにまともに思考できているとは思えないためこれが発端ということにしよう。鍵アカウントのツイートを埋め込めなかったため引用の形式で失礼する。

自分が勝手に学歴の序列を内面化しているだけだからそれに当てはまらない人についてどこかで羨ましいと思ってるんですよ結局 生まれた瞬間からコンプがあるので、実態はともかく実力はあるのに勉強や学歴に必死になってないように見える人の精神状態が本当に羨ましいしそんな人が多くいる母校が憎い

なかなか赤裸々なツイートである。いくらフォロワーが少なく親しい友達しかいないからといってあまりこういうことを素直に書きすぎるのも良くないかもしれない。このツイートは私が一浪の共通テストを終え2次試験に向けて勉強するために家に引きこもりすぎた結果軽い鬱を引き起こして書き殴ったもので、おそらく現役で第一志望を諦めすべりどめに進学した人への嫉妬と、大学への憧れなどではなくプライドが許さないために目標を下げずに浪人している自分を正当化したい気持ち、さらにこの1年の予備校生活とぬるま湯のような母校の学校生活との対比を分析した結果、このような文章が生まれてしまったのだろう。言っている内容は自分の気持ちに対してかなり忠実なように思う。

ところで、貴族=エリートか?否。断じて否。一昔前は貴族≒エリートだったかもしれないが、今やエリートに余裕などない。したがってここでいう貴族的文化とは、世俗的価値観に追従することを良しとせず、豊かな心を持ち、物事の本質を自らのうちに見出そうとする姿勢に基づく文化と規定したい。エリートについては、世俗的価値観─特に勉学に対して─と照らし合わせた場合に卓越性を持ち、一般的に社会的地位の高い立場に立つ者のこととしたい。私が12歳までの中学受験によって身につけたエリート主義は、勉強で卓越した結果を残すことを目指し、知性や勉学に過剰ともいえる重要性を見出すものであった。

以下は続きのツイートである。

同級生に対するこの視線は全く的外れかもしれない、でも私がいまいち母校を好きになりきれない理由はやっぱり勉強においても何においても貴族的なところで本当は大したことないのに社会の上澄みにいるような振る舞いをしているところ、

心に潜んでいたエリート主義が顔を出している。学校に通っていた頃は学校の雰囲気が私を圧倒していたので、このような考えは自分からも覆い隠されていたのだろう。しかし一年の予備校生活は再びこれを目覚めさせてしまった。世間的に見れば、少なくとも中一時点で世代上位数パーセントの学力を有していた集団に対してさえ、より上澄みの集団と比較して「大したことない」と言ってしまっており、根深さが窺える。より上澄みの集団とは父や兄の通っていた某中学・高校で、父や兄の存在はもちろん、直接関わりはないもののとても私の適いそうにない人々の存在を常に身近に感じながら育ってきたため、たとえ私の性別が男であってもそこに入学できなかったであろう劣等感、そんな私が比較的楽に入れた母校への軽視、母校の賞賛への抵抗、そして母校に心から満足している人への羨望、それらがこのツイートから読み取れる。

つまるところ、私はエリート主義を根に持ちながら、貴族的文化の洗礼を受け、半ば騙されたような気分になってしまったのだ。本当はやればできるのに高みを目指そうともしない人、そこに価値を見出さない人、知識を追いかけることに必死にならず、対話を大切にして人間性を磨く人、そんな人をかっこいいと思い、余裕のある人間に私もなりたかった。実の所は必死で見栄を張っており、プライドが高く、権威に裏付けされた知識を信用する人間で、受験的価値観に振り回されずエリート主義に侵食されていない同級生のようにはなれなかった。だから、私は自分に価値を見出すためにこんなに必死に知識を高めようとしているのに、そんなことをしなくても楽しそうに生きていられるのが羨ましい。こういうことだと思う。

現在、目下受験勉強中で全く余裕がない上に春になればおそらくこんな鬱々としたことをじっくり考える時間もないだろうから、覚えているうちに正直な心の内を分析してみた。完全な身内向けだしほぼ推敲もなしに書き終わったため説明不足感が否めない。しかしう〜ん、なんとめんどくさいやつであろうか。でも意外とみんなこんなもんなのでは?さあ、どうでしょう。こうやって自分の気持ちを整理して物語化すると、多少の齟齬があっても後で忘れているのでこれが真実になってしまいますね。おお、こわいこわい。というか結局「対応」できてないのでは?この気持ちに何の収拾も付けられていない気がしますが、夜中の1時半なのでこの辺にしておきます。早起きをできる限り続けたい。以上!

秋の所感70

 

季節のモノクル

病んで黄熟した秋は窓硝子をよろめくアラビヤ文字。
すべての時は此処を行つたり来たりして、
彼らの虚栄心と音響をはこぶ。
雲が雄鶏の思想や雁来紅を燃やしてゐる。
鍵盤のうへを指は空気を弾く。
音楽は慟哭へとひびいてさまよふ。
またいろ褪せて一日が残され、
死の一群が停滞してゐる。

一「佐川ちか詩集」 川崎賢子岩波文庫

 

 

【情について】

初対面の人を恐れずにいたい。本当は人のことは大好きなのに、誰に対しても片思いな気がする。同じだけの愛情を返してほしい。でも、返されたらそれはそれで、重いし怖い。

人を愛し、それが受け入れられるのは、人に愛されることよりもずっと幸福に違いない。

隣にいるのが恋人じゃなく友達だと残念がっても良いという風潮が嫌い。友達でも、クリスマスは一緒に過ごさせてよ。

高校卒業後、以前と比べて恋バナに興味を失った。当事者の口から噂話を聞いている気分になり、あなたとわたしの関係性に何ももたらしてはくれない。

子は親をこの世に繋ぎ止めるかすがいになるとは限らない。

たまによく知ってるはずの同級生に対して、初対面のころのような気持ちになることがある。

他人の価値観や感情を察することが下手で、正しい対応がいつも分からなくて怖い。でもそんな人の分からなさがきっと好きなんだと思う。

思いやりの心を持つ者が繊細であるとは限らない。

 

【言葉について】

小説の権力がでかすぎる。本といえば小説、じゃないのに。文学は別に高尚でもなんでもない。けど、過度に世俗的になってほしいとも思わない。

文学はポルノに過ぎないかもしれない。でも、それがあるうちは希望がある。

ピアノを弾いている間は文字を書かなくてもいい。文字を書いている間はピアノを弾かなくてもいい。手が使えなくなったら、ずっと歌って踊っているに違いない。

学者が、誰かの作品を時代の中に位置づける。それは必要なことかもしれないけど、時代の文脈でしか見られなくなったら可哀想だ。

言語化するときにこぼれ落ちてしまう感性をどうしたらいいのか分からない。

「地元」という言葉が苦手だ。ずっと住んでいる一定の土地がないというのもあるし、今の地元、といっても、根みたいにひとつの土地にくっついてない。そこは別にわたしの一部に含めたいとは思わない。関西弁にもそんなに愛着がない。「幼馴染」という言葉も苦手だ。そんな人いないから。

どこかから借りてきたような言葉で話さないでほしい。全部は無理でも、できるだけあなたの澄んだ言葉を聞きたい。

誰かがわたしの考えを代弁しようとして、たとえそれがほとんど合っていたとしても、それは言葉になる前のいろんな文脈から切り離された、全く別の言葉になってしまう。同じように、名言集みたいに長い文脈の一部を切り取って集められたものは、確かに効率的だし心に残るときもあるけど、発言者に対してあまり誠実な態度じゃないと思うし、言葉をあからさまに消費している感じが苦手だ。

 

【社会について】

簡単に、みんな大好きなんて嘘をつかないでほしい。見えないふりをしている者がいるはずだ。

女の子は身体を大切に、って、めちゃくちゃ気持ち悪い。男の子の身体も同じくらい大切だよ。母体だから大切にするな。自分の身体だから大切にしろ。

全ての人の苦しみが、せめて同じ苦しみならばマシだったのに。分かり合えない違う苦しみを与えるなんて神様は残酷だ。

「社不」が簡単に使われすぎている。真剣に悩んだことなんかないくせに。わたしも前は使っていたけど、もうやめる。

バランス感覚を持ち合わせている人は素敵だと思う。

諦めの悪い人間がもっと増えれば、世界はもっと良くなるのに。

隙を作らないよう常に戦っている気分がして、気づいた時からしんどい。

世の中みんな汚い。でも、生きている限りこの世の美しさを信じたい。

戦争や訃報に一時的に注目が集まって、ここぞとばかりに出版、広報、議論が始まる。最近はニュースそのものではなく、ニュースに対する世間の反応に疲れている。

人を人と思っていない人ばかり、人の考えていることを勝手に想像して、幻想に対して攻撃を向けている、あなたに人を裁く権利はないはずだ。

父親がフェミニズムの本をたくさん買って、いくらか読まずに放置しているとがっかりする。ポーズで満足しないでほしい。でも、わたしも自分が読めるタイミングが訪れるまでは、そういうことをしてしまう。

世界の色んな特集番組を見たあとにツイッターを開くと、Googleマップで小範囲に焦点を当てたときみたいに視界が急変して、頭を整理しなければならなくなる。そのとき、自分の属しているコミュニティの価値観の均一性が浮き彫りになって、怖くなる。同じように興味を抱いて同じように頑張る人としか交わらないせいで世界のほんの一部しか知らない、そのことが本当に怖い。

自分たちのことを自分たちで個性的と言ったり、自画自賛したり、必要以上に誇りを持ったりして、内側に閉じこもろうとする瞬間に立ち会うたび、吐き気がする。(自戒をこめて)

小さくても森がない街は、どんなに物にあふれていても死んでいる。

すごい人を、ただそのままの大きさで称賛しないで神格化する動きが苦手だ。どうしても敵わないと思う人のことを自分とは違う次元の人だと思うことで救われる気持ちはよく分かるけど、線引きしてその人を孤独の側へ追いやっているのと一緒だと思う。

自分は親が死んだことがないから簡単に片親の子を描けないし、自分が引き受けられないような境遇をキャラクターに主体的に選択させることもできない。なのに、ネット上ではどこかで見た大胆で面白い設定を組み合わせて、想像力や説得力のない話をみんなで気持ちよく消費している、これが本当に気持ち悪い。

全てに理由があるとは思っていないけど、少なくとも自分が生みだしたものについては、説明をつけられる状態にする努力をしてくれ、と思う。

多くの人が、自分はまっとうに生きていると信じて疑わず、社会から逸脱した人々を躊躇なく糾弾している。ボタンをかけ違えれば、誰もがその立場になる可能性があるのに。

 

【自意識について】

いちいち、これは苦手、これはおかしい、これは不公平だ、ということを考えてしまう。誰もわたしの価値判断なんか期待していない。

恵まれているって、人に言われるのは癪だ。そんなの誰よりも自分が分かっている、と思いたいけど、そんなことないのも分かっている。

わたしはわたしを苦しめたあなたを赦す。だから神様、どうかわたしのことも赦して下さい。

この身体がもっと身軽になって自由に人のための道具となり得るようになりたい。

(暗闇の中を歩くきみへ) きょうだいの出涸らしな人なんていないよ。わたしは違うし、きみも違うに決まってる。

いつも文字を打ちながら考えているから、文字を打っていない時は考えているようでいて何も考えていないんじゃないかと怖くなるときがある。

自分が意外と潔癖で宗教的な人間であることに最近気づいた。

わたしがこじらせているんじゃなくて、きみが真っ直ぐに育ちすぎているだけ。

直感的に人に不快感を感じるとき、自分でもびっくりする。そこからなんでそうなのか自己分析が始まるけど、きっと理由をつけて自分を赦したいだけだ。

人の誕生日を聞くのが苦手だ。興味がない自分に悲しくなるけれど、聞いた時点で祝う義務が生じるのが嫌だ。祝いたいと心から思っていないのに嘘をつくのは嫌だ。ほんとうに祝いたいときの言葉が霞むのは嫌だ。でも、これは受け売りだけど、みんな生きる意味を探している中で、生きているだけで理由なく人に祝ってもらえる、おめでとうと言ってもらえる日がある、それだけで少なからず救われている。

3人以上の集団で一緒にいる期間が長くなると、ある時急に距離を取りたくなる。その集団の色に染まるのが怖い。どこの団体であっても“肯定的な所属意識”を持ち始めたら抜け出したくなる。

思春期真っ只中の中3のときにEuphoriaを観たとき、レズビアン要素に全く気づかなかった。彼らの間にある感情は当時のわたしにとって何の違和感もなかったのに、今はちがうのが残念だ。

守れない約束がどんなに悲しいか、よく知ってる。だから約束なんてめったにしないけど、守れないと分かっている自分に悲しくなる。

理想が高すぎるとか繊細すぎるとかじゃなくて、世の中に妥協して生きたくない。

競争原理が過激化して抑圧的になること、逆に仲間内で差異を隠したり、協調を重視したりする姿勢、どちらも息苦しくなるときがある。

中途半端にコミュニティが被っている知り合いを見下している感情が汚くて、好きじゃない自分が現れないために視界に入ってほしくないと思う。すごく身勝手だけど。

心の中で人の良いところを見つけたり尊敬したりするとき、自分が本心で思っているのか、自分に対してポーズをとっているのか、分からない。

さまざまなことに敏感になればなるほど、純粋に楽しめるものが減っていく。そのことに疲れるときがある。

自分が良い人であるかどうかは自分では分からないけど、良い人になることを諦めないでいたい。

聖書教育が思考の癖と上手い具合に合致してしまい、倫理的な行動規範への呪縛が加速している。

みんなそうかもしれないけど、人間を好きでいるために、何か1個諦めているところがある。

何かをカテゴライズして複数性をとる人と、カテゴライズそのものを嫌う人がいるとすれば、自分は後者だと思う。客観が好きな人と主観が好きな人がいて、わたしはいつも放っておいたら追体験しようとし始めるものを、頑張って客観性を伴って位置づけている。

 

【行動について】

自殺する人って意外と多い。直接知ってる人で3人死んだ。

みんな何も言わないのにいつの間にかお洒落を頑張っている。何もしないだけで取り残されていく。変化するスピードが早すぎて、ついていけない。

平日の14時にTwitterをいじっているのはわたしだけだ。みんな同じ時間に、それぞれの活動領域で活動している。22時になったら一斉に人が増える。時間の方が人間を支配している。

突き詰めたいことが多すぎて時間と身体が足りない。

自分が気持ちよくなるために新しくハマれるコンテンツを探すのがだんだん面倒くさくなってきた。

あんまり寝ない方がいい時にずっと寝て、いっぱい寝たい時にあんまり寝られないのがつらい。

クラシックとか、絵画とか、本とか、映画とかに、もっと能動的に触れたい。一日中、ピアノを弾いて、本を読んで、映画を見るだけの生活ができたら、きっと1ヶ月は持つ。

みんな、毎日を楽しむために頑張っているし、それが結構上手な気がする。でも、毎日を楽しめないときがあってもいいと思う。

現実に見切りをつけたり、将来のために努力したりできる人は凄すぎる。わたしはきっとずっと子供みたいな理想を捨てられないよ。

わたしと同じような人が共感してくれるように文章を書いていると見せかけて、わたしがわたしに共感するために書いている。

流行を後追いしがちだから、流行っているときに知っていればもっと楽しいのかもしれないと思うけど、やっぱりみんなが注目しているうちは別にいいや。

SNS上では虚構や内面の方を公開して、現実社会の方に鍵を掛けるというのはパラドクスっぽくて面白い。

詩や短歌のコーナーをあさってみるけど、結局共感できる文章を探している。本当はそんなふうに本を読みたいわけじゃない。

 

 

✧✧✧

2023年 晩秋の編

今年はあまり外を出歩けていないから、来年はたくさんのところへ出かけて、もっと季節を感じたいな。

私立女子校体験記

前回の続き。

3.ESS : English Speaking Society

中学校生活の大部分を占める部活。昔から踊ることが好きだった私は英語でミュージカルをやるESS部に所属した。なんちゃって舞台メイクをしないといけないのだが所詮中1なので、夏の合宿で先生に教えてもらう。このとき我々の代は中高部長が英語の先生で顧問だったおかげで彼女に教えてもらえた貴重な学年となった。1年目はそこそこ楽しく部活に励み、学校生活をほぼ部活で終える。2年目は夏頃からtwitter相互ブロックから始まる冷戦が行われていた。途中から戦う気力を失くし、如何に部活を休むかを常に考えていた。顧問に、友達が心配している旨を伝えられる。その子に申し訳ないと思いつつ課題を理由にとんずらを続ける。しかし年内には停戦条約を機に雪解けが始まった。引退舞台に向けてなんとかまとまりを保とうとする努力が各自に垣間見られた。3年目は無事円満に引退を迎える。以後私含む一部のメンバーが有志団体として舞台出演を継続する。

高校時代、早々にパンデミックで休校期間となり、はじめ部活に無所属だった私はなんとも暇な日常を過ごす。ところが文化祭にて高校のESSの舞台を鑑賞してから先輩に凸し、入部させてもらうことにした。中学よりブロードウェイ色が強く、去年まで一緒の舞台に立っていた同級生が一皮むけて私の知らない姿で立っていた。「ミュージカル」というものに初めて本気で取り組んでみたいと思った。コロナ禍でマスク有り、客席制限あり、歓声なし、保護者不在という条件が付きまとったが、1度も上演中止となることなく無事に高2の引退まで続けることが出来た。

英語ミュージカルのすゝめ:英語の台本がかっこいい。衣装が豪華。発音が良くなる。裏方の機材が面白い。マイナーなので話題性がある。

4.受験勉強だと?

上記のように私の中高生活の中心は部活であったから、当然勉強は定期テストの前日にしかやっていない。授業は寝るか絵を描くかの二択で、塾にももちろん通っていない。同じように部活して勉強も頑張っている友人を横目に、根拠不明の余裕を持っていた。まだいけるやろ。ダイジョブダイジョブ。まだ本気出してないだけ。ところが高一の数学の定期テストで18点を取ってしまう。うーんこれはヤバイかも、というわけで高一の1月にようやく研伸館の入塾テストを受ける。研伸館にしたのは喋れる友達がまあまあ居たのと、家からめちゃくちゃ近いから。あと、なんとなくゆるい雰囲気が日能研に似ている気がしたから。クラスは中高一貫対象が上から特S、S1、S2とあり、同級生は基本英数ともに特Sで、高二進級時に英語だけ難易度が変わるのでS1になる人も多いという感じだった。そして高二のクラスがほとんどそのまま高三へ引き継がれる。そんな中、学校教育のおかげで英語はなんとかS1に滑り込む。数学はあまりにもできないのがテストを受けずとも分かっていたので、とりあえず春休み中に河合塾のいちばん易しい参考書を使って高校数学とは何たるかを知ってから高二のクラス分けテストを受けた(気がする。この辺の前後関係はうろ覚え)。ここで当たり前だがS2判定をくらう。普通に自分だけ成績悪いのが恥ずかしいので勉強し、夏前にはなんとかS1に上がった。その後夏休みは遅れを取り戻すためにほぼ数学に時間を割き、夏休み終わりにダメ元で受けたテストで運良く特Sに上がる。人生で最も数学に時間を使った期間である。しかし全速力で飛ばしてやっているので堅実な数学力が身についていない自分にとって特Sの授業は早く、生徒にバンバン当てながら進めていく授業スタイルにとてもついていけそうになかったので1回目のあとすぐに映像に切り替える。この時の先生は髪の毛がワカメちゃんみたいだったのでよくネタにされていた。映像では止めながら視聴できたので、通常の1.5〜2倍くらいの時間を使って数学ができる人の思考を追った。今思えばこの時の訓練が糧となり、数学力が高3の秋頃に開花した気がする。高3では英数ともに上から2つ目の、京大・阪大・医学部志望者向けクラスに所属した。英語の先生にこのクラスの京大の合格率を聞いて渋い顔をされたのはよく覚えている。もう1つ上のクラスに上がらないと厳しいのかなあ、と思いつつ結局上がることの無いまま、秋頃に世界史を休み出す。というかこれを書いている今、高二から世界史を受けていたことを思い出した。休み始めたのは、先生との相性の悪さに耐えかねたからだ。彼は自分でよく右翼と言われると言っていて実際言葉の節々にネトウヨ風味が感じられた。さらに中年おじさん特有の古い女性いじりも気持ち悪かった。悪い人ではないが、とにかく令和を生きる若者としては受け入れられない言動が多々見受けられたため、授業は切り上げてプリントだけもらっていった。これを機に単にやる気が出ない日に英数を休む回数が増え、受付で先生と顔を合わせると気まずいので11月頃には自習室にも行かなくなった。

代わりというか、塾で勉強していない罪悪感を埋めるためにその時期から学校のつまらない授業を切って食堂や図書館で勉強した。大学施設だったので見回りも来ず、卒業のための出席日数は余裕があったから主観では何も問題がなかった(真面目な人は、きっと糾弾するだろう)。この頃は学校に行くのは残り少ない授業を惜しみ、友達に会い、そして美しい晩秋の校舎風景を写真に収めるためだった。母校の最も美しい季節は、私は秋だと思っている。秋に撮った風景を全てここに公開したいくらいである。礼拝に遅刻するのが確定しても、必ず朝に学校に行った。それは親の目があることもあるが、何しろ朝の礼拝をすっぽかして大学施設の周りで撮る晩秋の早朝の風景は格別だった。つんと立つ冷たい朝の空気に雫がしたたる葉、薄く射し込む木漏れ日。誰もいない廊下でひっそりと楽しむのが最高に気持ち良かった。ここだけ世界が隔離されて、自分だけの秘密の花園だった。一通り写真を撮って、食堂に行き、勉強し、少し授業に出て、また抜け出して勉強し、友達を待って帰る。至福の2ヶ月だった。9月の文化祭を皮切りに行事から勉強へと学校生活の中心が変わり、学校から塾へと、みんなの滞在の中心の場も変わっていった。以前よりもっと友人との日常を大切にするようになった。3学期になると、学年全員が揃ったのは卒業式だけだった。半分以上の人は学校に来なくなった。数少ない登校日、既に浪人を見据えていた私は受験勉強もそこそこに、毎日昼過ぎから学校に行った。人より頑張れないのは分かっていたから、学校も勉強もなんていうのは諦めていた。とにかく友達と会うために、昼休みからは学校に行って、学校にいる間はほとんど自習もしなかった。2次試験前の1ヶ月ほどは学校がなかったので、ずっと家にこもっていた。昼に母がカフェやランチに連れ出してくれた。詰め込み期間に発覚した知らなかった知識が多すぎて、自分の過去の不勉強さを悔いた。結局塾を休み始めてから、冬期講習も直前講習も何一つ取っていなかった。でも、私の勉強の穴は、塾で補うものではなかった。もっと根本的な、日本的受験勉強の発想だ。特に英語と古文が問題だった。つまり英語は単語と文法、語法が基本で、その上に英文解釈があって、さらに上に英文読解がある。古文は古文常識と古文単語・文法があって、古文解釈がある…ということだ。英文解釈・古文解釈という参考書のジャンルがあることも、直前期に知った。ずっと「受験勉強っぽい何か」しかして来なかった自分に気づいた。どうして知らなかったのだろう。誰も教えてくれなかったし学校のカリキュラムは変だし、みんなどこで知ったのか教えてほしい。塾は受験の常識を理解した人に向けた技術ばかり教えて、最初から常識の外れた人には軌道修正をしてくれなかった。いや、してくれていたのに、自分が受験にいつまでも本気で取り組んでいなかったのが間違いだったのか…なんてことを考えながら、ダメ元で京大を受験し、学校を卒業した。

5.人間関係を振り返る

6年完全中高一貫だったから学校内で新しい出会いがなく、密といえば密な人間関係を構築したと思う。特に中学時代同じ部活に所属した人とのつながりは友達の中でも強力だ。入学時に、ここでは一生の友達ができると言われたが、確かに私というケースAにおいてはそうかもしれない。もちろんここに居場所を見つけられなかった人もいただろう。諸事情によって学校を退学した友達もいる。中学時代をそれでひとつの完結した体験とするのではなく、高校時代とつながりをもって位置づけることができるのは中高一貫ならではの良い性質ではないだろうか。特に人間関係では、中学時代と高校時代で関係性が変わった人なんて何人もいるし、より親しくなった人もいれば、疎遠になった人もいる。何年も同じ学校にいて5年目や6年目にようやく親しくなったなんてザラだ。卒業時の関係が全てでもない。予備校や進学先の大学など、卒業してからの繋がり次第でいくらでも変化する可能性はある。特筆すべきこととしては、母校は女子校であり、しかも難関と呼ばれる私立であったことだ。難関試験をパスした一定水準以上の学力を有する女子だけが集う空間は、私の人生で後にも先にもここだけだ(大学は共学に進学する予定)。私は公立小学校時代、心の安寧がなかった。当時は日々を楽しんで生きていたし、特別いじめられていた訳では無いが、常にどこか被害者意識を感じていたのだと思う。リーダー格の男の子たちの作る雰囲気は私に攻撃的だと思ったし、私を嫌っている女の子たちは何か気に食わないことがあれば容赦なく私を潰しに来ると思っていた。小学校は、生き残る場所だった。特別治安の悪い地域ではないし、むしろ文教地区として有名で、中学受験にも熱心な地域だったにも関わらずだ。気が強くて友達がいて、いじめる機会がないからいじめられていないだけで、自分は基本的に嫌われていて、それは自分がみんなの作る空気を読めていないからだ、彼らの文化に溶け込めていないからだと、言葉にできなくてもそう感じていた。中学受験のために通った塾ではそういった空気は感じなかった。単純に成績のいい人が尊敬される世界。リーダー格の男の子や女の子は人を攻撃するよりも授業中にピエロとなって自分に注目を向けるか、自分より立場の強い先生をいじるというやり方で場の空気を作っていたし、せいぜい塾の休み時間にしか会話しない浅い関係性なのも良かった。塾は学校よりも悪く言えば管理的、よく言えば秩序が保たれているから、他人へのいじりが過激化することも避けられた。中学受験の闇がないわけではない。それは前回の記事を参照してほしい。しかしここで公立小学校以外の世界を見つけた私は幸運だった。一生選択肢が与えられないまま小中高と卒業していく人が大勢いる中で、中学受験は私を私立中学という温室に逃がしてくれた。そこは偶然女子校であったが、女子校であることを意識したのは高1の冬に研伸館に入塾したときがはじめてだった。女子校の友達が男子と仲良くしているのは今見てもなんとなく違和感があるというか、気持ち悪くはないが少し知らない人を見ているような気分になる。それまで無性別だった人が急に性別:女になったような。恋愛の話も、仕事仲間とプライベートの恋愛の話はあまりしないように、女子校という男女の恋愛抜きの環境で共にすごした友達と恋愛話をするのはまだ慣れない。友達の「女」の部分を見せられても、どうしていいか分からない。6年間、日常で性別なんてなかったのだから。私は塾でも他校の子と交流なんてほとんどしなかったし、男子校生との付き合いも全くなかったから余計にそう感じるのかもしれない。ただ、こうした世間とのズレを感じることは、一方で世間を相対化することができるということだ。当たり前の空間の方に違和感を感じる。生きづらいといえばそうだ。しかし私は悩みに悩む人生でありたいと思うので、むしろ人とズレた感性を持てることに感謝している。

女子校時代、気が強くて、悪く言えばでしゃばりな同級生はたくさんいた。でも彼女らはそれだけでは攻撃的な目を向けられることはなかったように思う。多分だが、私が男の子だったら、もう少し公立小学校で生きやすかったんじゃないかという気がする。自分の受け入れられなさを性別のせいにするつもりはないが、女の子の方が、気が強くてでしゃばりなことがマイナスに働くことが多いのではないか。このことに気づけたのも女子校での経験のおかげである。母校を過剰に持ち上げるつもりはないが、小学校時代、辛い思いをよくしていた同級生が、同じ中学に入学して、人が変わったように明るくなったり、楽しそうにしていたりするのを見ると、本当に避難所のような役割を母校は果たしているのだと感じる。公立という、地域以外のフィルターが何も無い集団で居場所をみつけ、受け入れられていた同級生たちが羨ましい。もちろん彼らなりの処世術はあるのだろうが、上記の同級生たちや私のような異分子は保護してくれる環境がなければ、成長の機会を得る前に潰されていただろう。中高では偶然友達に恵まれただけかもしれないが、友達に恵まれることに環境が作用する影響は大きい。6年間、友達に恵まれやすい環境を体験できたことはこれまでの人生最大の幸福であり、一生の財産となるに違いない。

6.終わりに

今回の題に「体験記」とつけたのは、自分が本来私立女子校の文化と縁遠い人間だったからだ。父方の祖母の家系が最もお金持ちで祖母は私立女子校出身だ。でも他は本当に普通で、私は幼稚園は私立だが、小学校からして公立畑の人間だし、十分に一般的といえる中流階級の娘だ。父が教育費にお金をかけてくれたこと、親戚からの多大な援助がなければこんなに恵まれた教育は受けられなかった。常に負い目がある。同世代の親戚の中でも恵まれている。無論、何が幸福かなんて人それぞれであるが、少なくとも自分ではそう思わずにはいられない。だからずっと、何もしていないのにたくさん与えられている状況がうっすら気持ち悪いという感覚がある。与えられたものの中には、私立女子校という環境そのものがある。それは私が受験先として選びとって、合格によって得たものという面はあるにせよ、結局、阪神間に住み、子を私立中高に通わせるという展望を持ち、一か八かの中学受験を支えてくれた両親によって教育的に与えられた、1つの大きな経験である。しからば、私はその通過儀礼として体験記を書いてみよう。そうして生まれたのが、前回から長々と連ねたこの18年間の経緯である。

読んでくれたそこのアナタ、こんなにだらだらと長いのに人1人の人生を読むなんていい趣味してるね。読んでくれてどうもありがとう!

 

追記(2023.11.28)

前作と合わせて読み、結局中学受験や私立というものが良かったのか悪かったのかあまり一貫性が見えないと思ったのだが、両方の側面があるのは当たり前で、母校が世間ズレしている一方で私はそこに守ってもらっていたという自己認識が確立したことに、この2篇の記録を書いた意味を見出すことができる。思考の癖として過剰に自分を俯瞰し、批判的に見ようとしがちであるのだが、母校が当時公立小学校的文化に馴染めないと感じていたひとりの子どもを教育・人間関係の環境の面から保護し、成長の機会を与えてくれていたということは素直に認めるべきことであろう。この点において私は中学受験をして(結果的に)良かったと言わざるを得ない。しかしこれは中学受験そのものを擁護することを意図しない。なぜなら私は日本的受験制度に対してどちらかといえば否定的な立場を取っており、母校の教育方針から考えてこの学校が中学受験を採択せざるを得ない現状に矛盾を感じているからである。同じことは大学受験にも言える。母校の教育方針は受験エリートを育成するものではないはずだが、中学受験エリートとして入学してきた生徒の中には受験ゲームをクリアすることを勉強の目的とする生徒、また、もっと根深い問題としてその保護者が、少なくない数いた。私自身、中学受験の燃え尽き症候群で中学の間は学校教育に対する興味を失っていた。今の私にはこのことが、ひどくもったいないように感じられる。一卒業生としては、母校にはどうか、近視状態に陥っている生徒が求める予備校的授業を中途半端に行うのではなく、せっかくの強みである独創的な授業を貫き通していただくことを願っている。

コロナ備忘録2023

ポストコロナがささやかれる2023年。はじめてようやくコロナウイルスに感染したので以下に記す。ワクチンは2020年にモデルナを2回打ったのみ。

11月2日の夜、喉の違和感を初めて認識。喋りすぎたかなと思い、少し喋るのを控える。

3日、京大オープンを受ける。横の人がおそらく体調不良で全く手を動かさず、お昼頃に早退していた。喉の痛みは軽い炎症を疑う程度。

4日、京都市内を歩き回る。引き続き喉の違和感が気になるが、風邪だと思いいつも通り過ごす。

5日(発症1日目)、朝から38度台の発熱を確認。インフルエンザの予防接種を受けた父が微熱を発症したこと、母の職場でインフルエンザが大流行していたことにより、インフルエンザを疑う。日曜日でかかりつけ医が休診日だったので明日まで待つことにする。39~40度台の発熱が続き、とりあえずこの日はイブクイックを飲んでしのぐ。父母私が3人とも発熱する中、たまたま兄の帰省予定が被る。丁度いいので大量のポカリとパンを買ってきてもらう。飲み物を飲み、トイレに行く他はずっと寝る。最高体温は40.9度

6日(2日目)、早朝に兄が帰宅。午前9時、病院に行く。なぜか37度台まで熱が下がる。この日は血混じりの透明の鼻水がたくさん出る。3人揃ってインフルとコロナ両方の検査を受け、コロナと判明。パンデミックから3年目にして初コロナ感染に驚愕する。ロキソニンムコスタを処方してもらい、この日は36度台をうろちょろする。ほぼ食欲ゼロだがうどんを食べる。この時、味覚障害が発覚。うどんが苦すぎて完食を諦める。食してから数時間後、胃もたれに気づく。うどんで胃もたれすることに絶望を感じる。一体何を食べれば良いのだ。一方で頭は元気になり、深夜までyoutubeと漫画を楽しむ。

7日(3日目)、胸糞悪い夢を見、15時くらいに起きる。母に喉によく聞くらしいプロポリスキャンディーというのど飴を貰うも、めちゃくちゃヒリヒリする。口コミによると効いている証拠らしい。確かに楽になった。胃もたれが悪化し、医者に許可を貰い市販のハイウルソ顆粒を飲む。この機会にUNEXTで葬送のフリーレンと進撃の巨人を見始める。

8日(4日目)、17時起床。おでんをたべる。若干卵がまずいが、それなりに味覚は戻っている模様。胃もたれがマシになってきた。しかし鼻づまりがひどく、頭がはっきりしない。目を使うと疲れるので、23時くらいまで再び寝る。0時頃、さすがにお腹が空いたので小さいサンドイッチを食べる。暇なのでコナンを見る。

9日(5日目)、虎に食われる夢を見る。18時起床。食欲が戻りつつある。おでんを食べ、2004年のパレスチナ特集を見る。鼻づまりがマシになり、鼻かみロボットと化す。痰が絡んで声が安定しない。ココアがいいと聞いて飲む。23時にサトウのごはんと味付け海苔を食べる。デカい痰が取れ、快適になる。

10~12日現在(6~8日目)、18~20時に起きて6~8時に寝るという12時間睡眠12時間起床が板についてくる。食欲が戻りつつ、喉が治りつつ、まだ鼻水は出るが、普通の風邪の後のようにだんだん回復に向かう。そろそろ勉強を再開しなければならない恐怖心に駆られる。だって19は京大実践だもん。

最も外出していない1年なのにコロナにかかってしまった。いつどこでかかるか分からないものだなあ。尤も、コロナにかかって初めて時代に追いついたという感じもしなくはない。これでようやく、私もポストコロナを生きられるぜ。

 

追記

さっき、mRNAワクチンを開発したカタリン・カリコと山中伸弥の対談番組を観た。自分の実験結果を信用して薬を実用化し、自分も使用するのはどんな気持ちなのだろうと考えた。また、役に立つものとそうでないものを予め分類することはできないということを改めて強く実感した。あと医学ってとどのつまり応用化学なんだ、当たり前だけど忘れかけていた。

さらに追記

カタリン・カリコはワクチンを打っていないらしい。なんでやねん

中学受験までの軌跡

序文 嗚呼、愛しい我が母校よ

中学受験や入学先の中高に苦い経験がある人は中学受験に対し否定的になりがちだ。逆に受験成功者や楽しい中高生活を送った人は概して受験してよかったと思っているような気がする(実態は不明)。というのも私の母校では母校愛の強い人が多く、母校に入学してよかった≒中学受験してよかった の図式が容易に成り立つからだ。その母校しか経験していないのでほかの学校のことは分からないが、少なくとも私の周りの人間はそんな感じの人が多かった。母校はその教育方針に反してなぜかエリアの女子校最難関のひとつと言われており、合格者=同級生たちは私を含め、自覚があったにせよ、無かったにせよ、うっすらとエリート意識を持っていた。少なくない人が中学受験が終わるや否や大学受験に向けて鉄〇〇や研〇〇に通っていて、高校生になれば、どこの大学以上なら目指す価値があるかという線引きが言葉に出さないでも伝わった。たくさんの同級生たちは医者の娘で、学年の約3分の1が医学部を受験した。

「まるで、悪しき日本の世襲制が凝縮された光景ね」
「こうした世襲制と共に、人間の過ちの歴史が繰り返されるわけよ」

これは私が生まれたときから仲良くさせてもらっている、今はすっかり国民的コンテンツとなった『名探偵コナン』の映画『ベイカー街の亡霊』に登場する灰原哀のセリフだ。これを初めて見た時は幼く実感として理解していなかったが、受験生になって周りの志望校を聞く機会が増えるとかなり身に染みて実感し、ちょっと恐ろしくなった(ここでジェンダー的観点から補足すると、女子の親には出産育休を考慮して手に職を持たせるという考えがあることは言うまでもなく、どちらかといえばエリート男子校の方がエリート女子校よりも「日本の悪しき世襲制」に貢献しているといえるだろう)。この話はいつか別で話したい。

ところでうちの学校は私立小学校出身者も多い。というか、中学受験をするような教育熱心な家庭は子供を小学校から私立に入れる親が比較的多い。私は小学校受験を経験していないのでここで具体的に言及することは避けようと思うが、超進学校などと言われる、特に私立中高一貫などはこのような医者を初めとするエリート家庭がやたらおおく、そうでなくても金持ちが多いので、まともに友達付き合いをしているだけで簡単に金銭感覚が狂ってしまう。といってもみんなの金銭感覚が破綻しているわけではなく、遊ぶ時に予算を気にしなかったり、惜しまず人にプレゼントをしたり、学校が午前中に終わる日(それなりに多い)に仲間でランチに行ったりといった具合であった。もちろんバイトなどできる学校ではない。いたずらに浪費するわけではないが、裕福でお金を気にしない生活。まあ、それでライフスタイルが確立している家庭はいいのかもしれないが、私は本来このようなハイソなところにいる人間じゃないと思っていたので、すました顔で紛れ込んでいてごめんなさい…という気持ちがした。金銭感覚だけでなく、あらゆるところで豊かさや余裕というものを感じた。みんな心に余裕があって性格が良いし、校舎も綺麗だし、なんだか守られているようで、あまりにも快適すぎて、むしろ居心地が悪い。みんなのまっすぐな母校愛も、ちょっと私にはオーバーすぎてむずがゆい。私はたまたま小6のときに合格ラインより高い点数を取っただけだったのに、その後の人格形成期に多大な影響を及ぼした。もちろん得られるものは沢山あった。世の中にはこんなにも自分の気持ちを素直に表現できる人がいるんだとか、こんなにもストイックな人がいるんだとか、帰って来れるホームのような場所だとか、色々挙げることはできるし、私も母校愛が全くないかと言えばある方だと思う。しかし一方で、世間からずれてずれていくことにいつも不安が付きまとった。

 

1 この世に生を受けた
私は2004年、2人兄妹の妹として生まれた。

高度経済成長期、阪神間で父親が生まれる。灘中・灘高、一浪、東大という経歴をもち、どこからどう見てもエリートに育つ。どういうわけか台湾に興味を持ち、博士課程の途中に留学し、一人の女性と出会う。

日本が安定成長期に入ったころ、台湾の田舎で母親が生まれる。当時人気のなかった彼女の高校は彼女らの世代からスパルタになり、彼女らは合格実績の稼ぎ手となって高校を人気校に飛躍させる。順調に大学を卒業し、当時最も待遇のいい職業のうちの一つである教師として安定した人生を歩み始めたはずだった……が、日本から来た留学生とうっかり結婚してしまい、安定ライフを手放して全く縁もゆかりも無い日本にやってくる。夫の仕事の都合で日本にやってきたので当然日本語ができず、仕事も貰えないので専業主婦になるしか道がなかった。2002年に長男が生まれ、ワンオペ育児に追われる。2年後、長女が生まれる。

 

2.私立幼稚園、公立小学校
当時住んでいた地域では保育園・幼稚園が争奪戦で、兄は親の第2希望の幼稚園に入園した。ほとんど兄妹枠で私もそこに入園した。神戸周辺の人間なら誰しも聞いたことのある有名女子校の系列で、私の生育環境は出だしからかなり恵まれていた。友達の服はいつもかわいく丁寧に手入れされていたし、お母様方はみんなお洒落だった。私はいつも一緒にいる友達グループができた。3人グループで、喧嘩をする時はいつも私と2人が対立した。しかし悲しいことに、卒園と同時にほとんどが東京に引っ越してしまった。ついでに私も隣の隣の市に引っ越した。せっかく一軒家を建てたのになぜ4年で引っ越したのか。中学生のとき父に聞いたが、それは「その土地が自分の都会気質に合わなかったから(つまり彼にとって田舎すぎたから)」。正直家を買うことが下手すぎる。この引越しは以後母の恨みを溜めまくる諸悪の根源となった。

私立幼稚園かつ引っ越しのダブルコンボで、公立小学校に入学した私は初め1人も友達がいなかった。周りは既に知り合いがいる様子で、転校生でもないのに周りが気にしてくれるはずもなく、開始早々盛大に置いてきぼりにされた。そんな私だったが、1番最初の国語の授業で五十音表を見て母音という概念を発見したので先生に褒められて、嬉しかった。

2~3年生の間はあまり良い思い出がなく、しょっちゅう友達と喧嘩していた。3年生のころは一つトラウマレベルの喧嘩を起こした。当時は分からなかったが今は分かる、ほとんどの喧嘩は私が小さいことにこだわりすぎて起きたのだということを。自分の中の論理を他人に押しつけがちな子供だった。兄は気が弱く、優しい優しいと言われていたのに、私は気が強く常に優位に立ちたがった。なんでそうなったのかはなんとなく予想できる。2番目の子というのは、特に上に優秀な子がいる場合、常に劣等感を感じながら生きる生き物なのだ。親や周りが比較していなくてもそうなのに、私はピアノという経験値が物を言う習い事をしていたために、そしてさらに祖母の露骨な贔屓に直面していたために、自己肯定感は皆無に近く、プライドだけは人一倍大きくなっていた。4年生になって中学受験塾に入ると、学校とは違い3年生からやっていた子達との学力の差をみせつけられて多少マシになったかもしれないが、6年生にもなれば、やはり2年前の兄に対し劣等感を感じずにはいられなかったし、なによりも兄の時と私の時で父親の受験への熱量が違うことに非常に傷ついたのを一生忘れることは出来ない。母親は味方のようだったが、彼女もまた私を傷つけた。男女で受けられる学校が違うのだからコースが違うのは当たり前なのに、ことある事に「でも兄の時よりは楽で良かったね」などと言われて反発しない受験生がいるのだろうか。ストレスから毎週日曜日テスト前にお腹を下す小学生が相対的にでも楽だなんて言われたくなかった。

こういった家庭内外での無意識な比較にさらされ、私は6年の夏には完全に自己肯定感を失っていた。そこに転機が訪れる。夏から秋にかけて、私の成績は絶好調だった。日能研関西で4科目だったか3科目だったか忘れたが概して200位台だったのが、日能研関西4科目女子1位という最高記録を叩き出した。今までの人生のうち最も調子のいい状態が続き完全に調子に乗り、その後の人生を駄目にする最悪なプライドが出来上がってしまった。今まで自分を賢いともできるとも思ったことの無かった私が狭いコミュニティの中で急に超絶優等生になり、先生にも同級生にもちやほやされるようになったので、自分の潜在能力に対する自信がちょっと押せば崩れるレンガの壁のように積み上げられた。 1度持ったプライドはそう簡単に消すことは出来ない。出来レースのようにぬるっと第一志望に合格した私は、救いようのない虚しい自尊心を抱えながら堕落した中学生活を送ることになる。